即席の日本国憲法 2016 8 21

書名 日本国憲法の真実
     わずか数人のアメリカ人が、ワイマール憲法とソビエト憲法などから引き写し、
    2、3日の「やっつけ仕事」で作った日本国憲法。
     その捏造の過程と実情を精力的な取材と綿密な考証で解き明かした。
著者 高尾 栄司  幻冬舎

 早速、興味深いところから引用しましょう。
「日本国憲法は、9日間の作業で完成した」
 しかし、それが、どのように始まり、終わったかは、明らかにされてこなかった。
作業に当たり、日本の学者は、小委員会が設立されたと記している。
 しかし、それは名ばかりだった。
さらに、その小委員会の起草委員たちは、
憲法の書き出しさえ、わからなかったため、
「虎の巻」を求めて、東京中を探し回ったのである。
 そして、「虎の巻」を接収してくると、
それをそのままコピーしたのである。
 著者は、現行の日本国憲法が、どの国の憲法からコピーされ、
どの条項になったのかを原文と対照して提示している。
(引用、以上)
 もう一つ引用しましょう。
 日本国憲法の骨子となる人権条項は、
当時20歳そこそこだったベアテ・シロタの起草になるものだということも、
日本の主な憲法研究者・学者の間で「常識化」された。
 なぜ、一介の、憲法には門外漢の若い女性が、
憲法起草委員のキーパースンとして受け入れられたか。
 Wikipedia「ベアテ・シロタ・ゴードン」に記されている、
数々の美談の裏には、全く別の契機があることが判明したのである。
(引用、以上)
 さらに、引用しましょう。
 GHQ参謀部に所属し、ベアテの身元調査を行った参謀二部長のウィロビーは、
ベアテのGHQ採用は、「不適切な文官採用の際立った一例」であったとし、
次のように述べている。
「戦時中、シロタ夫妻が日本人への強い憎しみ(略)を育てていったことは明らかである。
そして、日本の警察と官僚組織に対する圧倒的な嫌悪を、
いまや娘のベアテ嬢が受け継いでいる」(「知られざる日本占領 ウィロビー回顧録」)
 そして、彼が指摘するように、
「このように若く、未熟で、曖昧な過去を持ち、
個人的な強い憎しみを抱いて、米国市民権をあわてて取得したような人物」(前掲書)が、
GHQ民政局に配属され、
担当官として、日本国憲法作成や公職追放に直接関わることになったのである。
(引用、以上)

洗脳 2015 8 30

書名 まだGHQの洗脳に縛られている日本人
著者 ケント・ギルバート  PHP研究所

 さて、この本から、興味深いところを引用します。
「GHQが定めた30項目の報道規制」
 昭和20年(1945年)9月に定められた、
正式名称「日本に与うる新聞遵則」、
通称「プレス・コード」に規定された30項目を、
手元にある資料「日本人を狂わせた洗脳工作」(関野道夫著 自由社)から引用してみましょう。
(この30項目の報道規制については、数が多いので、省略しますが、
いくつか、興味深いところを取り上げましょう)

「17 神国日本の宣伝」
 かつて、森首相(当時)が、
「日本は神の国」と発言した時のマスコミの大騒ぎは、
「17 神国日本の宣伝」の禁止に原因があったのです。

「3 GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判」
 かつては、「GHQが日本国憲法を作った」などと書くと、
新聞や学者や評論家から猛烈に批判されましたが、
これは、GHQが定めた報道規制に原因があります。

 とにかく数が多いので、全部を取り上げることはできませんが、
この30項目にないのは、「日本政府に対する批判」ぐらいなものです。
そういうわけで、マスコミは、政府批判に専念してきたわけです。
 ところで、この30項目の報道規制には、
「28 虚偽の報道」というものがありますが、
なぜか、この項目だけでは、マスコミは遵守しなかったようです。
誤報どころか、虚報までありました。
 さて、この30項目の報道規制に対する印象は、
日本の左翼や左派は、GHQの報道規制を遵守して、
右翼や右派は、GHQの報道規制を破ってきた傾向があります。
 そうすると、日本の左翼や左派は「親米」で、
右翼や右派は「反米」だったのかと言いたくなります。


































































































































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